結城紬の歴史

それは遠く古代からのはじまりでした




遠く古代、祟神(すじん)天皇の御代、三野(美濃)の国から多屋命(おおねのみこと)という人が茨城県の久慈郡(くじぐん)に移り住み、そこで織物をはじめました。

その織物は長幡部絁(ながはたべのあしぎぬ)と呼ばれ、結城地方に伝わり、結城紬となりました。

「絁(あしぎぬ)」というのは太い生糸(きいと)で織った絹粗布のことで、これが結城紬の原形だと言われています。

鬼怒川の清流をたたえる結城地方は、古代から農耕で開けていました。桑の生育に適したこともあり、養蚕が盛んで、その副産物として絁(あしぎぬ)織られるようになったのです。

絁(あしぎぬ)は、常陸国(ひたちのくに)の特産品として時代につれて様々に名前を変えながら伝えられていきました。

結城氏が北関東で勢力を伸ばしていた室町時代には「常陸紬」と言われ、室町幕府並びに鎌倉管領に献上され、全国的に著名な物産となっていました。

江戸時代にこの地を治めた幕府の代官・伊奈備前守忠次(いなびぜん」のかみただつぐ)は、結城紬の振興・改良に努め「結城縞紬(ゆうきしまつむぎ)」の名が広く全国に知られるようになりました。その名声は、当時の百科事典と言われる『和漢三才絵図』に、最上品の紬として紹介されたほどです。

茨城県と栃木県にまたがる鬼怒川沿いにおよそ二十キロメートルの範囲では、長幡部絁(ながはたべのあしぎぬ)にはじまる日本最古の織物の技法を現在も守り伝えています。

産地として、茨城県では結城市を中心に下館市、下妻市、関城町、八千代町、栃木県では小山市を中心に南河内町、二宮町の広範囲に散在し、今でも大部分が農家の副業として織られています。両県で50%ずつを占め、年間約八千反が生産されています。





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